炭鉱事故を思い出す火災
満月の日だからかな…
昨日は、大きな事故があちらこちらで
あった様子
その中に、ものすごくショッキングな事故が…
先日、パリのノートルダム大聖堂の火災にショックを受けたばかりなのに、
今度は生まれ育った夕張での
石炭博物館での火災
つい、この前リニューアルオープンしたばかりだったのに、火災?と耳を疑いました。
昨年、訪れたばかりでした。
父親が勤務していたのは三菱大夕張炭鉱
父親は、
電気管理技士という仕事をしていました。
ほんの少しの静電気でも炭鉱内では爆発を起こすので
採炭する方々の衣服から発生する静電気のチェックも
炭鉱内に入る時に念入りに行うそうです。
何度か炭鉱事故で、父の同僚の方々が亡くなりました。
父親がたまたま札幌に出張だったある日
救護隊の仲間が二次災害で、父親ともう1人の方以外、お亡くなりに…。
事故が起こるたび、テレビに釘付けとなり
ニュースで、事故に巻き込まれて亡くなった方の一覧に父親の名前が出てこないか
三次被害が出るのではないかと
ものすごくヒヤヒヤしていました。
管理者達は、事情聴取され、家族に謝罪に向かい、悲しみをぶつけられ
仲間を失った悲しみを抱えながら
事故が起こった時の管理者の辛さを
当時、小学生、中学生だった頃の私ですら
ヒシヒシと感じていました。
だから未だに
どこかの企業が大事故を起こした時に
責任者達が土下座をする姿を見ると
「お父さんが悪いわけじゃないのにな…」と
当時のことを思い出しながら
何とも言えない気持ちになります。
同時に、管理者の責任の重さを感じます。
仲間の管理者たちが多く亡くなり
残された父親は、ノイローゼになっていました。
今回の事故
溶接工事をしていたとのことで
それが原因なのか、わかりませんが
本当に炭鉱の中というのは
ガスが発生しているので、どんな引火の仕方をするかわかりません。
だから、変な話
こういうことがあっても不思議じゃないなと、ある意味、驚きませんでした。
炭鉱事故の火消しは、とても大変で
今もなお、難航しているようですが
消防車の水では、水量が全然足りない。
川の水を引っ張って炭鉱内に入れて
水没させるような感じといいますか、
今回は、幸い中に人がいなかったから
すぐに決断してそれを行えましたが、
炭鉱事故があって、多くの方が中に閉じ込められている場合、
「まだ、生きているかもしれない」という望みを捨てたくない思いと
「火を何とかして消さなくてはならない」というせめぎ合いの中で
川の水を入れる決断をくださなければならない悲痛な思いを
目の当たりで見てきました。
もちろん、状況的には時間がたっているので
もうお亡くなりになっているであろう
判断のもとに行うといっても
亡くなっている証拠もないところに
大量の水で炭鉱を埋める決断をするのは
身を割かれる思いです。
家族は少しの望みも捨てたくない。
生きているかもしれないのに
水で生き埋めにしないでほしいと願うのは当然のこと…
お前が代わりに死ね!とか
家族の怒りを受けながら
それを行わなければならない。
それだけ、炭鉱事故というのは
一般の消化活動とは違う、複雑なものがあると思います。
先日、父親とちょうど
当時の話をした後だったので
今回の火災がよりリアルに感じてしまいましたが、 早く復旧作業にかかれると良いなという思いと、また復旧作業をする方々の安全を願うばかりです。
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