ふるさと~久々に夕張へ

スタッフの子供に算数の問題を出され

800ー800は0

3,000ー3,000は0

「じゃぁ~10,000-20,000はな~んだ?」と問われ





何の躊躇もなく、フツーに




赤字 



と答えてしまった私です。


あぁ~未来の子供のために、夢も希望もないことを教えてしまったわ。


今月の高校での授業・・・気を付けよっと(笑)。






今日は、生まれ故郷夕張へ行ってきました。

新店舗でレシピライセンス協定を結んだ 老舗そば処「吉野家」さんへGO。


店主、高橋一太くん(高校の後輩)のお店です。

ご家族やスタッフさんが手厚くもてなしてくださいました(^^)。



もう、何年ぶりかな?夕張に帰ったの・・・。


もう実家もなく


というか、本当になかったし・・・(倒)


ほらね?笑


完成したシューパロダムを見学し、





そしてリニューアルしたらしい石炭博物館へ行ってきました。






私は、南部というところに住んでいました。


このバスに乗って通学🚌


石炭色のセーラー服とスカーフ(笑)!




炭鉱は夕張にいくつかあったのですが

私の住む地区は「三菱南大夕張炭鉱」で、父親は電気技師でした。


同時に、この画像にあるような服装をした救護隊として

事故などの対応をしていました。




父親は、その大きな事故の日、たまたま札幌に出張に行っており、

二次災害を逃れましたが、父親ともう一人の方以外の多くの仲間が亡くなりました。

今、思うと、どんな思いだったのだろう・・・と。


炭鉱事故があった時、ニュースで災害にあわれた方の名前が流れます。

二次災害に巻き込まれた方々のところに

父親の名前がないか、テレビに釘付けな時間を送ったことも・・・。


夜遅くに、自宅に労働組合の人が飲みに来て、お酒をたかり、

深夜遅くまで酔っぱらって家に居座り

今考えれば脅し?のような光景も子供心ながらにとても嫌でした。


父親は電気技師であり、坑内に入る方々の衣服のチェックなどもしていました。

衣服の静電気が、坑内のガスに引火して爆発するからです。


炭鉱事故が起こると、ミスがなかったか

警察の事情聴取があり、場合によっては書類送検される重たい責任を背負いながら

ウン十年、炭鉱という場に身をおいて

閉山後、そこに一人残り残務整理をして、最後、三菱南大夕張炭鉱の鍵を閉め

夕張を去り、

東京の三菱マテリアル本社へ転勤し、定年退職いたしました。

その後は千葉県に自宅と電気管理事務所を構えましたが

8年前に母親のがん闘病・死のため、私の住む旭川に無理やり連れてきたという経緯があり

現在に至ります。



余談ですが、東京勤務の出社時、雨が降って傘を取りに帰った父親が

いつも乗る電車に、たまたま乗らなかったことがあります。

そのいつも乗る電車が、地下鉄サリン事件にあいました。


炭鉱事故といい、サリン事件といい

危機一髪を逃れてきている父親は、実は生命力の強い人なんじゃないかなと

思うことがよくあります。



と、話はそれてしまいましたが、

そんな三菱に誇りを持っている父親だったので、私の弟にも三菱関連会社に

就職するよう強くすすめ、その思いを受け

ガス化学の研究者として、今、父親とは別分野ではありますが三菱に身を置いています。


夕張を再訪して

高校生の頃、もっと大きな街に見えたんだけど

身体が大きくなったから?(笑)か

こんなに狭かったっけ?と、不思議な感じがしました。


通っていた小学校・中学校・高校もすべてなくなり

唯一、高校が「ひまわり」という宿泊施設になりましたが

母校がないというのは、ちょっと寂しいものですね。


都会の活気もいいなと思うけれど

田舎で畳の上で、座布団を枕に 蚊取り線香をたいて

ごろーんと寝転がるのんびりな感じも改めていいな~って思いました^^


さて、7月に入りました。


短い夏を楽しみましょうne★








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